織田信長
おだのぶなが
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野元秀 - 東京大学史料編纂所所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング582位
- 大名
戦国~安土桃山 [1534年~1582年]
織田信長とは?
織田信長(1534-1582)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は織田信秀、妻は斎藤道三の娘・濃姫。幼いころから奇抜な行動で「尾張の大うつけ者」と呼ばれていた。1551年、父の急逝により18歳で家督を継いだ後も奇行が目立ち、教育係の平手政秀が自らの死をもって信長を諫めたほどだった。一説では母親の愛情不足が原因だと言われている。しかし武将としては非常に才に恵まれており、桶狭間の戦いをはじめ、実弟・織田信行との争いを経て長良川の戦い、一乗谷城の戦い、天王寺砦の戦いなど、自ら先陣を切って奮戦し勝利を収めている。一方で家のない体の不自由な民のために小屋を建てる資金を支度するなど、庶民や弱い立場の者に寛大な一面もあった。また、妹・お市が輿入れして同盟を組んでいた浅井長政が寝返り、さらに逃げ込んだ先が酒池肉林に腐敗しきった延暦寺であったために比叡山焼き討ちを行うなど、信長なりの筋の通った正義感が伺える。しかし、明智光秀にまだ獲得していない敵方の領地を拝領地として与えるなど、家臣には厳しい傾向にあり、それが仇となってか明智光秀の謀反により討たれた。天下人として広く人々に知られていることから、国家安寧・万民安堵の大生の神として崇敬されている。 京都市北区紫野北舟岡町にある建勲神社は、織田信長を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
建勲神社
(山形県天童市大字天童字城山1043-5)
建勲神社
(京都府北区紫野北船岡町49)
建勲神社
(兵庫県丹波市柏原町柏原字大手525番ノ2)
深角神社
(宮崎県日之影町大字七折12718番)
