織田信忠
おだのぶただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~安土桃山 [1557年~1582年]
織田信忠とは?
織田信忠(1557-1582)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田信長の長男で、生母は久庵慶珠。幼名は「奇妙」。織田家と武田家が同盟関係にあるうちは、信玄の娘・松姫と婚約をしており、度々手紙や贈り物のやりとりをしていたという。1572年に元服したとみられており、信長に従って石山合戦をはじめ、岩村城の戦いには総大将として参戦し1,100余りを討ち取るなどの武功を重ね、それ以降の武田家との戦でも活躍している。1576年、信長から家督を譲られ、濃姫を養母として岐阜城に入った。翌年には雑賀攻めで中野城を攻め落とし、雑賀孫一を降伏させる。同年、信長に2度目の反乱を起こした松永久秀討伐軍の総大将を務め、明智光秀や羽柴秀吉を指揮し久秀討伐にあたった。以降は信長に代わって軍を指揮することが多くなり、総帥としての地位を築いていった。1582年には甲州征伐で軍勢5万を指揮し、武田家を滅亡へと追い込んだ。甲府に入城した信長は、信忠の戦功を賞し梨地蒔の腰物を与え、「天下の儀も御与奪」との意志も表明した。本能寺の変が起きた直後、別の寺にいた信忠は二条城へ向かい、親王一家と女性を逃がしてから自らは籠城をするなど、冷静な判断の出来る武将だったことが伺える。二条城へ敵勢が迫ると自刃し、26年の生涯を自ら閉じた。 京都市北区紫野北舟岡町にある建勲神社は、父・織田信長を主祭神とし、信忠も配祀している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
建勲神社
(京都府北区紫野北船岡町49)
