植村泰忠
うえむらやすただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1539年~1611年]
植村泰忠とは?
植村泰忠(1539-1611)は戦国時代から江戸時代初期にかけての人物。父は植村泰基で、幼い頃に亡くしたため大叔父の二位法印教円に引き取られ、僧侶として育てられる。三河国(愛知県)鳳来寺別当となり、安養院と号した。1537年、三方ヶ原の戦いに僧兵を率いて徳川家康に加勢した。その後、小田原征伐では本多忠勝らと共に活躍し、その報償として上総国(千葉県)夷隅郡勝浦に3000石を賜り、関ヶ原の戦い後は更に2000石の加増を得て領主となった。泰忠はこれまでの勝浦城を廃城とし、勝浦の町の基盤を作る。その一環として行ったのが、農業の振興と新しい漁法の普及、そして朝市の開催である。この朝市では農産物と漁獲物の交換を行い、期間中は他の場所での売買を禁じた。その繁盛っぷりは江戸勝りと言われるほどで、現在も400年の歴史を持つ朝市として輪島(石川県)・高山(岐阜県)と並ぶ日本三大朝市の一つに数えられている。また、泰忠は勝浦城に在城した折、五柱稲荷大神を祭神とした鳴海神社(千葉県勝浦市)を建立している。 また、泰忠自身も鳴海神社に合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
鳴海神社
(千葉県勝浦市浜勝浦251番地)
