上杉治憲
うえすぎはるのり
- 歴史的人物
- 男神・男性

上杉神社所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 藩主(米沢藩)
江戸 [1751年~1822年]
上杉治憲とは?
上杉治憲(1751-1822)は江戸時代中期の大名。第9代米沢藩主。日向国(宮崎県)高鍋藩主秋月種美の次男であり、母親は第4代米沢藩主上杉綱憲の孫娘である。8代藩主上杉重定の養嗣子となった。当時の米沢藩は、全国でも最悪な状況と言われるほどに財政が困窮していた。藩主となった治憲は、あまりの困窮のために領地を幕府に返上するという意見まで出されていた藩の窮状を救うために、財政の再建、産業の育成、精神の改革の三つの改革を成し遂げていく。財政の再建では、大倹約を趣旨とした文書「志記」を発布し、日常の食事は一汁一菜に限る、衣は綿を基本とするなどの指針を示し、治憲自らも江戸仕切料1500両から200両への大倹約を断行した。産業の育成では、米沢織などの織物を奨励し、養蚕のための手引書を自ら発行している。また、他にも木工芸品や陶器などの工芸品も育成し力を注いでいる。精神の改革では、遠祖となる上杉謙信以来の雄藩としてのプライドが高く、華美な生活をする態度を改め優秀な人材を育成するための学校である興譲館を創設した。治憲は後に隠居後剃髪し、鷹山と名乗る。 治憲は山形県米沢市にある上杉神社の摂社松岬神社に祭神として祀られている。当初は上杉謙信と共に上杉神社に合祀されていたが、明治時代になり摂社の松岬神社に分祀され現在に至っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
上杉鷹山うえすぎようざん
その他
祀られている主な神社
松岬神社
(山形県米沢市丸の内1-1-38)
