松平忠明
まつだいらただあきら
- 歴史的人物
- 男神・男性

妙心寺塔頭天祥院所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
安土桃山~江戸 [1583年~1644年]
松平忠明とは?
松平忠明(1583-1644)は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。江戸幕府大政参与。徳川家康の娘・亀姫と徳川家家臣の奥平信昌との子で、5歳の頃、家康の養子になった。1592年、兄が亡くなり家督を継ぐ。1600年の関ヶ原の戦いには父とともに参戦し、その後は三河作手藩主となる。大坂冬の陣では美濃国の大名たちを率いる大将となり、加納藩の兵たちも含む多大な兵力を預かった。豊臣家との休戦協定が結ばれた後は、大阪城の外堀・内堀の埋め立てを担当。夏の陣にも加わり、多くの首級を挙げた功績により摂津大坂藩10万石の藩主となった。戦で中断していた、秀吉配下の武士・道頓が主導していた運河工事が有志により再開され完成した際には、忠明もこの運河を道頓堀と名付けて賞したという。権威に奢ることなく庶民への思いやりの感じられる治水に人心の信頼も厚く、道路の整備・大阪の町の制度改革など忠明の復興手腕も評価され、郡山藩12万石へ加増移封された。郡山では城門を伏見城から移すなど修築を行っている。1632年には従弟で将軍である徳川家光の後見人に任ぜられ、1639年に播磨姫路藩18万石に加増移封されるとともに西国探題とされ、幕政に多大な影響力をもった。1644年、62歳で死去。 埼玉県行田市本丸の忍東照宮、兵庫県神戸市西区の岩岡神社などが忠明を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
