松平信綱
まつだいらのぶつな
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
江戸 [1596年~1662年]
松平信綱とは?
松平信綱(1596-1662)は、江戸時代前期の大名、武蔵国忍藩主、同川越藩藩主。老中。父は徳川家康の家臣・大河内久綱、母は白井長尾氏の末裔・深井氏。6歳の時に長沢松平氏に養子入りしていた松平正綱の養子となる。正綱は隠居した家康の近侍・徳川家光の側近でもあったため、信綱が家光の小姓となった。1620年、500石を与えられて以降、御小姓組番頭への任命や家光の上洛に付き従うなどを経て、相模国高座郡・愛甲郡で8,000石の所領を与えられ、合計1万石の大名となる。その後も老中と小姓組番頭を兼務するなど重用され、1633年には阿部忠秋、堀田正盛、三浦正次、太田資宗、阿部重次らと共に六人衆に任命された。翌年は家光より駿府城で刀と盃を賜るなど、家光の信頼が非常に厚かったことが伺える。1637年に島原の乱が起こり、幕府軍の総大将であった板倉重昌が戦死すると、代わって信綱が幕府軍の総大将に就任した。オランダ船へ援護射撃を要請した他、立花宗茂、水野勝成、黒田一成ら戦陣経験がある老将達と軍議を重ね、一揆軍を兵糧攻めにした結果、陥落に成功。戦後は功績を賞され、川越藩へ加増移封され、新河岸川や川越街道の改修整備・農政の振興など治水に尽力した。1651年に家光が没すると、その後は家綱の補佐に当たり、慶安の変・承応の変なども鎮圧した。 愛知県豊橋市東田町にある豊城神社は、信綱を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
松平伊豆守信綱まつだいらいずのかみのぶつな
その他
