重仁親王
しげひとしんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 皇族
平安 [1140年~1162年]
重仁親王とは?
重仁親王(1140-1162)は平安時代後期の人物。崇徳天皇の子。生母は兵衛佐局。第75代天皇・崇徳天皇の第一皇子として生を受けるが、誕生後すぐに体仁親王(後の近衛天皇)の生母である藤原得子の養子に迎え入れられた。重仁親王は養子先で我が子のように可愛がられ、近衛天皇が即位した年には親王宣下を受けるなど、当時最も順当な皇位継承者と目されるようになる。ところが1155年に近衛天皇が崩御すると「崇徳上皇が近衛天皇を呪い殺した」という噂が流れ、激怒した鳥羽法皇が重仁親王を差し置いて後白河天皇を即位させてしまう。一連の騒動は崇徳上皇と後白河天皇の対立を生み、保元の乱の決定的要因となってしまった。乱後、崇徳上皇は讃岐国(現在の香川県)に流罪となり、重仁親王は仁和寺に入り出家している。出家後は寛暁大僧正のもとで仏道に励んだが、間もなく足の病を患い、23歳の若さでこの世を去った。 生前、重仁親王が「我を信ずる者には頭痛を止めむ」と誓願した伝承から、重仁親王には頭痛を取り除くご利益があるとされている。生前身を寄せていた薬王寺は「弁天神社」と称され長く信仰されたが、1991年に改築されて現在は「重仁親王廟」となっている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
