秋月種殷
あきづきたねとみ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(高鍋藩)
江戸~明治 [1817年~1874年]
秋月種殷とは?
秋月種殷(1817-1874)は江戸時代末期~明治時代の人物。高鍋藩主・秋月種任の子。幕末の政治家として活躍した秋月種樹は実弟だが、後に養子として迎え入れたため系譜上は親子関係にある。種殷は日向国(現在の宮崎県)高鍋藩9代目藩主の長男として生まれ、1843年に父親から家督を譲られて10代目藩主となった。種殷の治世は実に30年に及び、武力よりも経済振興や教育促進を重視する現実的な政策を敷いた。特に領内の教育には非常に力を入れており、医学館をはじめとした学びの場を積極的に設置したことで知られている。1869年に版籍奉還の流れが起こったため、種殷は「高鍋藩最後の藩主」となったが、藩主の座を降りた後も高鍋藩知事となり地域の発展に尽力した。 宮崎県の多賀神社や都農神社に現存する社殿は、種殷の寄進によって再興されたものだと記録されている。また、種殷からは祭器や畑地の寄進があったとも。こうした地域神社との密接な関わりから、種殷の信心深さを伺い知ることができる。現在、かつての種殷の居城でもあった高鍋城跡は舞鶴公園として整備されており、園内の舞鶴神社には種殷を含む秋月家代々の神霊が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
舞鶴神社
(宮崎県高鍋町大字上江1345)
