秋月種樹
あきづきたねたつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- その他
江戸~明治 [1833年~1904年]
秋月種樹とは?
秋月種樹(1833-1904)は江戸時代末期~明治時代の人物。高鍋藩主・秋月種任の子で、秋月種英らの親。日向国(現在の宮崎県)高鍋藩の9代目藩主であった秋月種任の三男として生まれ、若年の頃より高名な儒学者らに師事して知識を蓄えた。種樹は当時から聡明な人物として知られ、小笠原長行や本多正訥と共に「学問界の三公子」と並び称されている。1862年には、その優秀さを買われて幕府学問所奉行に登用され、さらに翌年には若年寄格との兼任を命じられている。藩主の血筋とはいえ外様大名に過ぎなかった秋月家にとって、これは異例の大抜擢であった。しかし大政奉還が成ると種樹は新政府側を支持し、幕府で得た地位を自ら辞している。その後はすぐに新政府の参与に就任、明治天皇の侍読・公議所初代議長・元老院議官などを歴任し、幕末期の貴族院議員として名を遺した。 また、種樹は書家としても優れた腕前であった。多賀神社(宮崎県日向市)の石碑に彫られた「猿田彦大神」の文字も種樹の書によるものである。生前、種樹が奉納した自筆の扁額は宮崎県を中心に各地の神社・博物館に現存しており、種樹自身もまた舞鶴神社(宮崎県高鍋町)の神霊として合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
舞鶴神社
(宮崎県高鍋町大字上江1345)
