宗良親王
むねよししんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

緑亭川柳(英雄百首)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング529位
- 皇族
鎌倉~南北朝 [1311年または1312年~1385年]
宗良親王とは?
宗良親王(1311-1385)は鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した皇族。後醍醐天皇の皇子であり、母親は二条為世の女為子である。若くして出家し妙法院門跡に入室、尊澄法親王と称し天台座主となる。父後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕の兵を挙げると行動を共にするが、計画は未然に露見し後醍醐天皇は隠岐に、宗良親王は讃岐(香川県)に配流となる。後醍醐天皇が隠岐を脱出し、建武の新政が始まると宗良親王も京に立ち戻り再び天台座主となる。その後、南北朝時代になると還俗し南朝勢力の拡大のために奮戦する。しかし、楠木正成、新田義貞らが討ち死にし、南朝の勢力は大きく劣勢となった。父後醍醐天皇は起死回生を図り、自らの皇子を各地に転戦させることになる。宗良親王もまた、北畠親房らとともに東国に赴くために大船団を組み伊勢を発した。しかし、大船団は折からの暴風で難破し座礁。時を同じくして父後醍醐天皇が崩御。宗良親王は座礁した遠江(静岡県)の豪族井伊氏を頼り奮戦をしたが、井伊家の居城井伊谷城で逝去したと言われている。 宗良親王は静岡県浜松市にある井伊谷宮に祭神として祀られている。井伊谷宮は宗良親王の墳墓の前に建立された神社である。維新後に彦根藩の知事井伊直憲が創建した。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
信濃の宮しなののみや
その他
大草の宮おおくさのみや
その他
幸坂の宮こうさかのみや
その他
