宗助国
そうすけくに
- 歴史的人物
- 男神・男性

Ackeyyama(CC 表示-継承 4.0)
祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉 [1207年~1274年]
宗助国とは?
宗助国(1207-1274)は、鎌倉時代中期の武将。対馬国の地頭代、守護代。1274年の文永の役において、450艘・3万人にも及ぶ元・高麗連合軍が対馬西岸の佐須浦沖に攻め込んできたという島民の知らせを受け、助国は80余りの兵を率いて夜の間にすぐさま佐須浦へ向かった。夜明けを待って朝鮮語に通じた者を使者として蒙古軍に送ったが、いきなり船の上から矢を射かけられ、それをきっかけに約1000人の軍勢が上陸、合戦となった。宗氏家譜によれば、助国は数十人を倒し先陣を切って味方を鼓舞し、大いに奮戦したという。しかし次第に劣勢となり、民家に火を放たれると、助国は家臣の小太郎と兵衛次郎を呼び寄せると「戦場から脱出して事の次第を大宰府へ告げよ」と命じた。残った助国と子息の右馬次郎、養子の弥次郎、他に庄の太郎入道、肥後国の御家人田井藤三郎など、兵たちは残らず討死したが、小太郎と兵衛次郎は逃げ延び、大宰府へと事の顛末を知らせた。 長崎県対馬市厳原にある小茂田浜神社は宗助国を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
