酒井忠予 神社の神様 - 神社ファン

酒井忠予

さかいただやす

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩主(松山藩)

江戸 [1657年~1736年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 酒井忠予とは?

    酒井忠予(1657-1736)は江戸時代の武士。酒井忠恒の子で酒井忠英らの親。出羽庄内藩(山形県)の支藩である出羽松山藩初代藩主・忠恒の長男として生まれる。徳川家の重臣・酒井忠次を宗家とする左衛門尉酒井家の分家2代目。父・忠恒の死去により1675年出羽松山藩2万石の第2代藩主となる。江戸幕府の老中支配の下、小大名が交代で大坂城の警固にあたる大坂加番を11回務める。忠予には長男・忠英と次男・忠寄の男子がいたが、忠寄は実子が早世し跡継ぎのいなくなった本家の出羽庄内藩主・酒井忠真の養子となり、嫡男の忠英は盲目が原因で廃嫡したことから、一族の酒井忠休を養嗣子とし、1732年に忠休に家督を譲ると隠居した。1735年に79歳で死去。酒井家の菩提寺である心光寺(山形県酒田市)に葬られた。心光寺の御廟所では忠恒、忠予、忠休がまつられている。 忠予は中山神社(山形県酒田市)で祭神としてまつられている。中山神社は忠予によって創始されており、当初は源鎮霊社と名付けられ、藩祖の忠次と徳川家康の長男・徳川信康がまつられた。父・忠恒と養嗣子・忠休も合祀されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。