酒井忠徳
さかいただあり
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(庄内藩)
江戸 [1755年~1812年]
酒井忠徳とは?
酒井忠徳(1755-1812)は江戸時代の人物。父は酒井忠温で、妻に徳川宗武の娘、修姫がいる。左衛門尉酒井家9代当主にして、出羽庄内藩の第7代藩主にあたる。父の死に合わせて家督を継ぐが、当時庄内藩は深刻な財政難に喘いでおり、江戸から本国に帰還するための資金すらなく涙したという逸話が残るほどであった。そこで忠徳は藩財政再建を目指し、豪商の本間光丘を登用した画期的な財政改革を行った。安永御地盤組立と呼ばれるこの改革は超緊縮財政と低金利の切り替えによる借金返済、節約の徹底を行ったもので、藩の財政は好転しただけでなく1480両の蓄えを築くに至った。この甲斐もあり、天明の大飢饉では餓死者を出さずに乗り越えることができたが、財政は再び傾いた。忠徳は再びの財政改革に乗り出し、農村復興や文武の奨励に尽力する。1805年には藩校である致道館を創設し、人材育成にも努めた。また、忠徳は政治家としてだけでなく歌人としても優れていたと伝わっている。徳川将軍家の和歌指南役に教えを請い、詠歌一体などの秘伝書を授かったことが分かっている。現存する忠徳の和歌や俳諧の資料は、3000点におよぶ。 忠徳は庄内藩の歴代藩主と同じく庄内神社(山形県鶴岡市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
