酒井忠勝
さかいただかつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

新宿歴史博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング582位
- 藩主(深谷藩
- 川越藩
- 小浜藩)
- 大老
安土桃山~江戸 [1587年~1662年]
酒井忠勝とは?
酒井忠勝(1594-1647)は安土桃山時代から江戸時代にかけての人物。徳川四天王の一人、酒井忠次を祖父に持ち、父に家次がいる。祖父や父と同じく徳川家に仕え、元服の際は徳川秀忠より偏諱を拝領し、忠勝と名乗った。家督を継いでまもなく越後国(新潟県)高田藩10万石から信濃国(長野県)松代藩10万石に移封され、その3年後には出羽国(山形県)庄内藩13万8000石に加増された。庄内では交通の要所である亀ヶ崎城とかつて大宝寺氏が拠点としていた鶴ヶ岡城の2城を持っていた。これは、小藩としては異例のことである。祖父や父とは違い短慮でわがままな性格であったとされ、過酷な徴税を行ったことで農民が逃げ出すなど優れた藩主とは言いがたかったようである。更に晩年は酒井長門守一件というお家騒動によって多くの家臣を手討ちにしてしまい「忠勝がもう1年も半年も存命だったなら、酒井の家は破滅しただろう」などと身内から言われている。一方で神道への信仰は厚く、天海僧正の働きかけに応じ出羽三山神社(山形県鶴岡市)内の東照社を寄進した。以来、この社殿は歴代藩主の崇敬庇護のもと維持されてきたという。 忠勝は、歴代藩主と同じく庄内神社(山形県鶴岡市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
