酒井忠恒
さかいただつね
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(松山藩)
江戸 [1639年~1675年]
酒井忠恒とは?
酒井忠恒(1639-1675)は江戸時代の武士。酒井忠勝の子で酒井忠予の親。兄弟に酒井忠当、忠解らがいる。徳川四天王の1人にも数えられる、酒井忠次を宗家とする左衛門尉酒井家の分家初代。出羽国庄内藩(山形県)初代藩主・忠勝の三男として生まれる。家督を継ぎ庄内藩の2代目藩主となった長男の忠当は、父の遺言に従い中山2万石を忠恒に分知。支藩の初代藩主となった忠恒は、中山に陣屋を設け藩庁とした。後に地名を中山から松山とし松山陣屋と名を改めている。忠恒は心光寺(山形県酒田市)を開山した超誉師に帰依し、心光寺の興隆に務めた。死後、忠恒は高野山と松山藩江戸屋敷の墓所となっていた光照寺(東京都新宿区)に葬られたが、分骨して心光寺に葬られている。また酒田市の松山地区に伝わる松山能は、江戸藩邸の松山藩士が習得し国元に伝えたものが始まりとされ、忠恒が藩の式楽として定めた。 忠恒は中山神社(山形県酒田市)で祭神としてまつられている。徳川家康の長男・徳川三郎源信康と藩祖・忠次をまつるため創始し源鎮霊社とした。後に忠恒、忠予、忠休の藩主3代を合祀。1738年に現在の地に遷座し、名称も中山大明神を経て中山神社へ改称された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
