柴野栗山
しばのりつざん
- 歴史的人物
- 男神・男性

谷文晁 (近世名家肖像 パブリック・ドメイン)
祭神ランキング4751位
- 学者
江戸 [1736年~1807年]
柴野栗山とは?
柴野栗山(1736-1807)は江戸時代の人物。柴野軌逵の子。讃岐国三木郡(香川県高松市牟礼町)に生まれる。高松藩に仕える儒学者で、藩校である講道館を設立した後藤紫山について儒学を学ぶ。その後は、日本の学校教育発祥の地でもある湯島聖堂で学びを深める。湯島聖堂での学びを終えると京都に移り、さらに国学を学ぶ。その後、徳島藩に儒学者として仕える最中、徳島藩主蜂須賀重喜に従って再び江戸へ行く。江戸では、徳島藩当主の侍読の職を経て、江戸幕府老中の松平定信より、幕府に召抱えられる。定信が老中の時代に行った寛政の改革にも、寛政異学の禁を指導するなどして深く関わる。火災により消失した京都御所の造営にも責任者として大きな功績を果たしている。こういった数々の功績が認められ、1790年には湯島聖堂の最高責任者となった。「寛政の三博士」に名を連ね、朱子学だけではなく、さまざまな学問に精通し、多くの知識人と交流があったと伝わっている。 柴野栗山は四国乃木神社(香川県善通寺市)に祭神として祀られている。裕福な家庭には育っていない中で、国内の教育機関として随一であった湯島聖堂の最高責任者にまで上り詰めた栗山の学問に対するたゆまぬ努力により「学神」とも呼ばれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
