滋野貞主
しげののさだぬし
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 公卿
平安 [785年~852年]
滋野貞主とは?
滋野貞主(785-852)は平安時代の人物。尾張守、滋野家訳を父に持つ。また、娘に仁明天皇の女御として知られる縄子と文徳天皇の女御として知られる奥子らがいる。平城朝の頃文章生に及第し、後に参議まで昇進した。淳和、仁明、文徳の三帝に仕え、淳和天皇の頃には皇太子である正良親王の東宮学士も務めた。早くから詩の才能を見いだされており、当代一の学者との評価を得ている。その才能は、凌雲集に2首が収録されたほか、文華秀麗集、経国集などの漢詩集の編纂や、日本最古の百科事典である秘府略の編纂にも携わったことから相当に優秀であったことが分かる。仁明天皇の頃には下総守、相模守、大和守、讃岐守などの地方官を歴任したほか、内政でも内蔵頭、宮内大輔、兵部大輔、弾正大弼、大蔵卿など様々な官職を歴任した。貞主は思いやりがあり情け深い性格であったとされており、844年には私邸を改築し慈恩寺を建立した。座禅の合間には人々との交流に精を出し、多くの人に慕われていたという。娘たちが天皇に嫁ぎ、滋野氏が外縁として繁栄したのも彼の人となりのおかげであろうと評判になったと言われている。 貞主は葛木大重神社(奈良県御所市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
