児玉源太郎
こだまげんたろう
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- その他
江戸~明治 [1852年~1906年]
児玉源太郎とは?
児玉源太郎(1852-1906)は明治時代の軍人。父親は徳山(山口県徳山市)藩士児玉半九郎である。父半九郎は過激な尊王攘夷論者であったために閉門蟄居を藩より命じられ憤死している。しかし、藩論が尊王開国に傾くと源太郎は家名再興を許され官軍の東征に参加、函館戦争で初陣を飾る。陸軍に入隊した源太郎は佐賀の乱、西南戦争などで功績を挙げ陸軍大学校校長、陸軍大臣などを歴任している。陸軍大学校校長時代には、ドイツからメッケル参謀少佐が来日し、ドイツ式の軍隊統制を導入した。その後、台湾総督を務め、内務大臣を兼任している。しかし、日露戦争が勃発すると総参謀長大山巌元帥に請われて参謀次長に着任した。台湾総督と内務大臣を兼務していた源太郎にとっては明らかな降格であり俸給も下がる人事であったが、国家の大事に身を棄てて立ち向かったと伝えられている。日露戦争では苦戦していた乃木希典中将の第3軍に乗り込み一気に二百三高地を攻略し勝利に結びつけた。 源太郎は江の島に鎮座する児玉神社に祭神として祀られている。もともとは東京都墨田区向島に有志によって建立された神社であったが、源太郎が江の島を風光明媚な地として愛でていたことから当地に遷座された。また、出生地である山口県周南市にも同様に児玉神社が建立されている。
ご神徳
勝負必勝
