司箭院興仙
しせんいんこうせん
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- 男神・男性

祭神ランキング1527位
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戦国
司箭院興仙とは?
司箭院興仙(?-?)は戦国時代の僧・山伏・武将。本名は宍戸家俊といい、安芸宍戸氏の一族であり、毛利氏の一門衆の宍戸隆家の大叔父にあたる。宍戸元家の子として誕生し、兄・深瀬隆兼の養子となり、祝屋城と深瀬城を預かりながらも山伏として修行に明け暮れた。修行の末に由利正俊から源義経以来の家伝の法を伝えられ、愛宕の神を信仰して飛行自由を得たと言われている。1494年、細川京兆家の細川政元に仕えたとされる。政元が修験道に凝っていたことは有名で、興仙もその才をもって迎えられた。1507年、三条西実隆が山城国内の三条西家の所領について、興仙を通じて政元に訴訟の円滑化を働きかけていることから、興仙が政元の側近として地位を築いていたことがわかる。 しかし同年、権力のあった細川政元が、細川澄之派に籠絡された側近の香西元長・薬師寺長忠・竹田孫七によって、湯殿で行水をしていたところを襲われて殺された。興仙はその後出家したらしく、京都愛宕山を住処としたという。兵法・妖術に才を発揮しただけでなく、剣術や槍術、薙刀にも精通しており、剣術は貫心流、薙刀は司箭流と呼ばれ、広島藩の剣術の主流となった。 広島県安芸高田市甲田町上甲立に、興仙を主祭神として祀る宍戸司箭神社がある。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
宍戸家俊ししどいえとし
その他
