山縣有朋
やまがたありとも
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩士(長州藩)
- 軍人
- 政治家
江戸~大正 [1838年~1922年]
山縣有朋とは?
山縣有朋(1838-1922)は大正時代の陸軍軍人、政治家、首相。長州藩の蔵元附中間・山県三郎有稔の次男。久坂玄端の紹介で松下村塾に入門、生涯師と仰ぎ続けた吉田松陰と出会い、松陰のことを終生深く畏敬していた。1863年、上海に渡航した高杉晋作に代わり奇兵隊軍監として活躍したが、四国連合艦隊との交戦で負傷した際に武器と兵制の改革の必要性を痛感し、尊王攘夷論から開国論に転じる。1865年の大田・絵堂の戦いでは、倒幕派に奇兵隊軍艦として参戦し、勝利に貢献した。戊辰戦争でも奇兵隊を率いて長岡攻略戦に河井継之助らと戦い、会津攻略にも参加した。1869年には渡欧し、軍事制度などを視察し、帰国後は軍制改革を行って徴兵制を取り入れた。陸軍卿になってからも参謀本部の設置、軍人勅諭の制定などに関与する。1889年・1898年にそれぞれ内閣総理大臣に就任し、軍備拡張などを推し進めた。お互いに良き相談役であった伊藤博文が死去した際は「かたりあひて尽し丶人は先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」と弔歌を詠んでいる。以降、絶大な発言力を持つ元老として政界に君臨し、「日本軍閥の祖」の異名をとった。 栃木県矢板市の山縣有朋記念館の敷地内にある椿山神社では、山縣有朋を御祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
山県有朋やまがたありとも
その他
祀られている主な神社
桜山神社
(山口県下関市上新地町二丁目六番二二号)
