山内与右衛門久元 神社の神様 - 神社ファン

山内与右衛門久元

やまうちよえもんひさのぶ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩士(松山藩)

江戸 [~1733年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 山内与右衛門久元とは?

    山内与衛門久元(?-1733)は江戸時代の人物。土佐藩の初代藩主・山内一豊の甥にあたる山内久忠の曾孫。与衛門は曾祖父の代から松山藩に移り住んだ武士の家系に生まれた。その仕事ぶりは至誠にして忠実であると高く評価され、32歳の若さで藩の目付け役にまで出世している。ところが1732年の享保の大飢饉で松山に多くの餓死者が発生した際、主君の松山藩主・松平定英が心労から逝去し、混乱に乗じて家老となった奥平久兵衛に「悪心をもって藩主の心を惑わした」という罪を着せられてしまう。奥平久兵衛の主張は政権争いを有利にするための濡れ衣であったが、存命中に疑いが晴れることはなく、与衛門は切腹を命じられて帰らぬ人となった。無実が明らかになったのは刑の執行から約8年後で、この頃ようやく「山内与衛門久元は武士の手本となるべき忠臣であった」と再評価がなされている。 1814年、時の松山藩主・松平定通は与衛門の忠義を称えて「山内神社」を建立した。このため濡れ衣を着せた奥平久兵衛の一派は没落し、藩が派遣した目付によって仇討ちされている。山内神社の主祭神である「厳敏鎌輪瓊命」は与衛門の神名であり、除難のご利益があるとされる。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。