山内首藤俊通
やまのうちすどうとしみち
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [~1160年]
山内首藤俊通とは?
山内首藤俊通(?-1160)は平安時代末期の人物。首藤義通の子で、藤原秀郷の子孫にあたる。妻は摩々局。由緒正しい藤原氏の系譜であるが、曾祖父・資清の代より首藤氏を名乗るようになり、また俊通の代からは山内の姓を使い始めたことで、合わせて「山内首藤氏」と呼ばれるようになった。そのため俊通は一般に山内首藤氏の祖として扱われる。俊通は源氏の郎党であり、源義朝が鎌倉に本拠地を構えた際には源氏と関東武士団の連絡役を任された。俊通が「山内」の名を使ったのは、この頃に本拠地を構えた場所が相模国鎌倉郡山内庄(現在の神奈川県鎌倉市)だったためである。平治物語によれば俊通は、義朝の勇臣17騎の中でも随一の実力者であったという。平治の乱では主君を東国に逃がすために京都の四条河原に残って防戦したが、奮戦空しく平家に討ち取られてこの世を去った。 俊通の遺体は京都市の東分木町にあった人家の裏に埋葬され、江戸時代に至るまで「山伏塚」と呼ばれ祀られていた。のちに俊通の子孫たちが墓の場所を見つけ出し、数百年越しの追善供養が行なわれた。その際に立派な塚と石垣が建て直されたため、俊通の供養塚は今でも良い保存状態で現存している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
滝口刑部丞たきぐちぎょうぶのじょう
その他
山内俊通やまのうちとしみち
その他
祀られている主な神社
田原神社
(広島県庄原市市町1599番地)
