山県大弐
やまがただいに
- 歴史的人物
- 男神・男性

町田源太郎
祭神ランキング1527位
- 学者
江戸 [1725年~1767年]
山県大弐とは?
山県大弐(1725-1767)は江戸時代の人物。甲斐武田氏の譜代家臣である、山県昌景の子孫に当たる。山崎闇斎や太宰春台の流れを組む儒学者に儒学、医術を学んだほか、甲斐山梨郡下の小河原山王神社の宮司を務め、尊皇攘夷の思想を広めた。江戸に出た後は、八丁堀長沢町に私塾柳荘を開き、古文辞学の立場から儒学や兵学を教えた。しかし、教え子の多くに上野国小幡の藩士を抱えていたことから内紛に巻き込まれ、幕府への謀反の疑いで処刑された。大弐は天文学、音楽、医学など様々な分野の著書を残している。なかでも柳子新論と天経発蒙は後の尊王攘夷派に大きな影響を与えたとされ、吉田松陰も大弐の著書を読んだと言われている。また、大弐は宮司を務めた経験からも神道への信仰が厚く、1762年には師である加賀美光章とともに連歌発祥の地とされる酒折宮(山梨県甲府市)の社殿を修繕、造営し、祭神であるヤマトタケルの武勲武徳を称えた酒折祠碑という碑文を建立した。 大弐は山縣神社(山梨県甲斐市)に祀られている。国学、儒学、医学、漢学、天文学、兵学などあらゆる学問に精通していたことから、学問の神様として親しまれている。故に、ご利益は学業成就、合格祈願などである。
ご神徳
学業成就 合格祈願
祀られている主な神社
山縣神社
(山梨県甲斐市篠原一九〇)
