山家公頼
やんべきんより
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング495位
- 武人
安土桃山~江戸 [1579年~1620年]
山家公頼とは?
山家公頼(579-1620)は江戸時代前期の宇和島伊達藩士。父親は出羽国(山形県)藩士山家公俊。藩主最上義盛の娘が伊達輝宗に嫁ぐ際に、父公俊が付き人として従い伊達家の家臣となる。江戸時代に入り、伊達政宗の庶子伊達秀宗が宇和島藩主として着任する際に家老として随行した。公頼は知行割りや家臣団の編成など、初期の藩政に貢献し秀宗をよく補佐する。しかし、公頼は正宗から秀宗のお目付けとしての役割も命ぜられており、秀宗との折り合いはあまり良くなかったと言われている。その後、仙台藩主正宗への借入金返済として知行3万石を隠居料として供出や幕名である大坂城石垣修復事業に参加するなど、藩惣奉行として貢献をする。しかし、反対派の重臣からは大坂城石垣普請の際に不正があったなどの讒言を注進され、藩主秀宗はこれを受け入れ公頼の誅殺を黙認してしまう。その後、宇和島藩では怨霊騒動や天変地異などの凶事が続きすべては公頼の怨念によるものと噂されるようになった。しかしその反面、財政に苦しんだ宇和島藩において質素倹約を旨として領民の年貢などを低く抑えたことから藩の民衆からは慕われていた。 公頼は愛媛県宇和島市にある和霊神社に祭神として祀られている。和霊神社は公頼の祟りを恐れた秀宗が公頼の館跡に創建した神社である。公頼の藩政への貢献などから産業振興や商売繁盛などのご利益があるとされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
和霊神社
(愛媛県宇和島市丸ノ内一丁目4-3)
和霊神社
(岡山県総社市岡谷981)
和霊神社
(愛媛県今治市玉川町字法界寺字桑坂甲205番)
鎮守社
(愛媛県松山市安城寺町1294番)
和霊神社
(愛媛県松野町目黒甲252番)
