三上豊範
みかみとよのり
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- その他
室町
三上豊範とは?
三上豊範(?-?)は戦国時代の人物。但馬国守護、山名祐豊の三男とされるが定かではない。守護所が移行したことによって捨て置かれ、荒廃した二上山城周辺の治安を憂えた村民の請願に応え、二上山城将として派遣された。しかし、二上山城は急峻な山城で不便だったため、山陰道と日本海という要所を押さえた地に道竹城を新たに建築し、二上山城と合わせて因幡における但馬山名氏の橋頭堡とした。永禄年間に入ると山名氏の宿老であった武田高信が離反し、豊範もこれに加勢する。しかし、1564年因幡守護の山名豊数による襲撃を受け、道竹城の戦いにおいて討ち死にしたとされる。一説では、豊範は因幡国巨濃郡岩井庄の三上氏当主、三上経実と同一人物であるとされる。経実の史料上の初見は1538年であり、当時因幡国守護を務めていた山名誠通による岩井庄の押領の停止と所領の保全を幕府に求めていたことが分かっている。1541年の道竹城の戦いにて討ち死にされたと言われるが、この合戦自体が本当にあったのか明確でなく、史料によって起こった年もずれている。 豊範は、美取神社(鳥取県岩美郡)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
