三浦義村 神社の神様 - 神社ファン

三浦義村

みうらよしむら

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
三浦義村

表記なし(承久記絵巻第二巻)

祭神ランキング1003位

  • 武人

鎌倉 [1160年頃~1239年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 三浦義村とは?

    三浦義村(1160-1239)は鎌倉時代の人物。父は三浦義澄で、桓武平氏良文流三浦氏の血筋に当たる。史料上の初見は吾妻鏡の北条政子の出産についての記述である。政子の陣痛が始まると、源頼朝は祈祷のために現在の天津神明神社(千葉県鴨川市)に三浦平六というものを使者として送ったとされている。この平六こそ義村のことである。三浦氏は安房国北東部に所領を得ていた証があり、三浦半島と安房国を頻繁に行き来していたと考えられる。義村は権謀術数に優れた策略家であったと言われ、明月記には藤原定家が義村のことを「八難六奇の謀略、不可思議の者か」と評したことが記されている。実際、義村は梶原景時の変で中心的役割を果たしたほか、畠山重忠の乱や和田合戦でも大きく戦果を挙げ、幕府での地位を向上させた。更には、源実朝暗殺の黒幕は義村であるとの説があり、義村は実行犯である源公暁討伐の功労により駿河守に任官している。承久の乱では、弟の胤義から後鳥羽上皇に就いて決起すべしと連絡を受けるもこれを断り、幕府軍の大将の一人として戦った。これらの権謀術数により三浦氏の繁栄を守り、1225年には宿老としての地位を確立した。 義村は近殿神社(神奈川県横須賀市)に祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。