桜井三郎左衛門
さくらいさぶろうざえもん
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1527位
- その他
江戸
桜井三郎左衛門とは?
桜井三郎左衛門(?-?)は織豊-江戸時代前期の農民。加賀河北郡高松村の人。高松周辺は内灘砂丘の北端に位置しており、村人の多くが漁民である集落だった。その中でも知力腕力に優れた村長だったのが桜井三郎左衛門で、能登末森の合戦の際、末森城周辺の山あいから木津・高松・川尻・今浜の海辺沿いなどの情報を集め、北川尻の砂山に布陣して待ち伏せている神保氏晴隊四千の大軍と、人影のない海辺の状況をつぶさに調べ上げた。雨が降って月が隠れた今こそ海岸沿いに進む作戦が最善だと判断すると、前田利家隊へ注進のために決死で走り、宇野気川を渡る前田利家に会うことが出来た。前田軍は400頭以上の軍馬がいたが、三郎左衛門は砂丘の谷間になって格好の隠れ場所になる自分の屋敷に前田利家の軍馬を案内した。こうした三郎左衛門の機転で、佐々軍に不意打ちをして合戦に大勝した利家は帰路で再び桜井家へ立ち寄り、望み通りの恩賞を取らせると言い、三郎左衛門は高松村全体の地租税免除を願い出たので、利家は快諾した。高松村の地租免除は1584年から1875年まで291年もの間続き、次第に豊かな宿場になって発展していったという。 石川県かほく市高松にある額神社には、桜井三郎左衛門が御祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。

