榊原忠次 神社の神様 - 神社ファン

榊原忠次

さかきばらただつぐ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
榊原忠次

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(横須賀藩
  • 館林藩
  • 白河藩
  • 姫路藩)
  • 大政参与

江戸 [1605年~1665年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 榊原忠次とは?

    榊原忠次(1605-1665)は江戸時代前期の譜代大名、大政参与。遠江国横須賀・上野国館林・陸奥国白河・播磨国姫路の藩主。榊原家3代当主。大須賀忠政と徳川家康養女・祥室院の長男として生まれた。祥室院は徳川家康の姪であるため、忠次1代に限り終身松平姓を許された。父の死により3歳で大須賀家を相続し、家康の配慮で安藤直次を後見人として遠江横須賀藩で6万石を領した。その後、叔父にあたる榊原家当主・榊原康勝に跡取りがないことを憂いた家康の命により、忠次が10歳で館林藩10万石を相続。これにより大須賀家は絶家、大須賀家領地は幕府に返上となった。一部の家臣は3割加増の上で榊原氏の家臣に編入されている。1648年、忠次は奥平昌能と共に幼年の徳川家綱の傅役となり、その後、白河藩14万石に転封、更に姫路藩15万石に国替される。1663年には保科正之の推挙により、幕府の大政参与となった。1659年、加古川右岸に「升田堤」という堤防を造り、升田・船頭間の2つの川の流れを1つにする流路改変工事を実施した。晩年は和歌や百人一首を嗜むなど、文化人の一面も伺える。 兵庫県姫路市総社本町にある播磨国総社射楯兵主神社には忠次が寄進した石鳥居がある。また、福島県須賀川市にある桙衝神社の本殿は当時白河藩主だった忠次の命を受け、1648年に建立された。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    大須賀忠次

    おおすかただつぐ

    その他