榊原康政 神社の神様 - 神社ファン

榊原康政

さかきばらやすまさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
榊原康政

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

戦国~江戸 [1548年~1606年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 榊原康政とは?

    榊原康政(1548-1606)は戦国時代から江戸時代初期の武将。上野国館林藩の初代藩主、康政流榊原家初代当主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられている。父は榊原長政。幼い頃から勉学を好み、読み書きも非常に上手かったという。13歳で小姓となり、初陣の三河一向一揆鎮圧戦では家康から武功を賞されて「康」の字を与えられた。19歳で元服し、本多忠勝と共に旗本先手役に抜擢された。姉川の戦いでは朝倉軍の側面を突く攻撃で多大な武功を立て、三方ヶ原の戦いでは夜に敵陣に声を挙げながら駆け入り、武田軍を逃げ惑わせた。1575年の長篠の戦いでも本陣に決死の突撃をしてきた内藤昌豊を本多忠勝と共に迎撃し、家康を守ったという。1582年の本能寺の変発生後の家康の伊賀越えにも同行するなど、家康からの信頼が厚かった。家康が豊臣秀吉と対立すると、康政は秀吉を非難する檄文を書いて秀吉を怒らせたという。家康と秀吉が和睦し、小田原征伐などを経て家康が関東に移封されると、江戸城の修築や上野国館林城での堤防工事・街道整備などに尽力。1600年、関ヶ原の戦いでは主力の徳川秀忠軍に軍監として従軍した。荒天のため合戦に遅参した忠秀に家康が激怒したが、康政のとりなしで事なきを得て秀忠は康政に大変感謝したと言われる。1606年、館林にて死去。 新潟県上越市にある榊神社は榊原康政を御祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。