佐藤継信
さとうつぐのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)

緑亭川柳(英雄百首)
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [1150年または1158年~1185年]
佐藤継信とは?
佐藤継信(1158-1185)は平安時代末期に活躍した武士。陸奥国信夫荘(福島県福島市)の大荘司佐藤元治の子であり、佐藤忠信の兄にあたる。藤原秀衡の家人であり、身を寄せていた源義経に仕える。奥州にとどまっていた義経が、源頼朝の挙兵に際してはせ参じる際には、秀衡の命により義経に同行。同じく仕えた弟の忠信、鎌田盛政、鎌田光政と共に義経四天王と呼ばれる存在となる。義経は黄瀬川(静岡県駿東郡)で頼朝に対面し、次いで宇治川の戦い、一ノ谷の戦いなどの歴戦にも継信は義経と行動を共にしている。一の谷の戦いで勝利した後、義経と継信はいったん京に戻るが、再び勢力を盛り返した平氏を追討するために屋島の戦いに臨むことになる。屋島では、当初は義経軍優勢であったが徐々に平氏に盛り返され、徐々に追い詰められていく。この時、継信は平氏きっての弓の使い手である平教経の放った強弓から義経を身を挺して防ぎ、命を落とすことになる。義経は継信の死を惜しみ、一の谷で鵯越を果たした名馬大夫黒を僧侶に与えねんごろに弔うように依頼した。 継信は新潟県栃尾市の羽黒神社に弟忠信と共に祭神として祀られている。羽黒神社は継信兄弟の母乙和御前が二人を弔うために建立した神社と言われている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
