佐土原基右衛門親善
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- その他
江戸 [1801年~1840年]
佐土原基右衛門親善とは?
佐土原基右衛門親善(1801-1840)は臼杵藩野津郷(大分県臼杵市野津)の大庄屋。26歳の若さで父親から継承し庄屋となったが、天保年間は飢饉の影響で村民は困窮を極めていた。同時期に全国的に天保の改革がさけばれ、臼杵藩においても倹約令が出され、現在の市町村の合併に当たる村の組み替えなども命じられることになる。基右衛門は庄屋という立場から協議して村民に藩命を承諾させる役割にあったが、反対した村民による年貢の不払いなどの動きもありまとめることはできなかった。基右衛門はむしろ村民の要望をもっともなことととらえて、藩主稲葉観通に訴えようとしたが届かず、逆に村民をあおったという濡れ衣を着せられ攻めを負うことになる。剛直な性格の基右衛門は自身の潔白を示すために40歳にして自害の道を選んだ。以後、火災などの災いが数多く発生したため、村民たちは基右衛門の祟りであるとおそれ祠を建て、大将軍神社として祀った。これに怒った藩主は祠を取り壊すべく使者を派遣するが、輿や槍が燃える、鉄砲が暴発する、使者が病となって急死するなどの異変が相次いだために、ついに藩主は基右衛門の御霊をまつることを許したという。 基右衛門は大分県臼杵市の板屋原神社に祭神として祀られている。村民が創建した当初は大将軍神社と呼ばれていたことなどから、大将軍様の通称で親しまれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
