佐竹義宣
さたけよしのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

天徳寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 大名
戦国~江戸 [1570年~1633年]
佐竹義宣とは?
佐竹義宣(1570-1633)は安土桃山時代~江戸時代の人物。佐竹義重の子、佐竹義直、佐竹義隆らの親。佐竹家当主の長男として太田城(茨城県常陸太田市)にて生まれる。家督を継いだあとの小田原征伐では、かねてより親交を結んでいた秀吉の求めに応じ、出陣し、忍城水攻めのための堤防造りに尽力し、戦後、朝廷からは従四位下の位と右京大夫の任を、秀吉から姓や領地を与えられ「豊臣六大将」の一人と数えられている。しかし、関ヶ原の戦いでは、どちらにつくとも言えない態度で傍観、戦後には、徳川家康らに陳謝し、家名の存続を願いでるなど手を尽くし、家名を守った。秋田への移封後は、一揆を収め領内の安定を図る、藩政には家柄に拘らず能力の高い人物を重用するなどし、積極的に藩の発展に務めた。大阪冬の陣では、徳川側で参戦し、大きな戦功を挙げている。 佐竹義宣は八幡秋田神社(秋田県秋田市)、佐竹神社(秋田県男鹿市)に祀られている。八幡秋田神社は、秋田移封後、義宣が本拠地として建てた久保田城の跡地にあり、明治まで続く佐竹市統治の礎を築いた義宣も祭神とされている。佐竹神社は、別名ハタハタ神社ともいい、義宣の移封後、ハタハタの漁獲量が格段に増えたことから、義宣を大漁の神様として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
