佐倉惣五郎
さくらそうごろう
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング776位
- その他
江戸 [~1653年]
佐倉惣五郎とは?
佐倉惣五郎(?-1653)は江戸時代の人物。本名は木内惣五郎。下総国印旛郡(千葉県佐倉市)の佐倉城下に生まれる。印旛郡公津村で名主となる。惣五郎が名主をしていた頃、佐倉藩の領主は、堀田氏であった。第2代藩主堀田正信の時代になると、重税が課されるようになり、藩内の農民は貧しい生活を余儀なくされる。あまりの重税に対し、惣五郎ら領内の名主たちが、奉行や家老、佐倉藩老中などにも直訴したが、取り合ってもらえず、そのため、宗五郎が単身、直接将軍の籠の前に飛び出し窮状を訴えるという、駕籠訴を行った。惣五郎の命を賭けた直訴は無事受け入れられ、重税は引き下げられたが、惣五郎とその妻、4人の息子たちは磔刑となり、命を落とした。その勇気ある行動から、佐倉藩の義民として、広く知られている。 佐倉惣五郎は将門口ノ宮神社(千葉県佐倉市)や松川入佐倉神社(長野県飯田市)などに祀られている。将門口ノ宮神社は、堀田正亮が将門山に惣五郎を祭り、「口の明神」としたのが始まりである。惣五郎の処刑後、藩主の堀田正信やその家族には、良くない出来事が多く起こった。それらは惣五郎の祟りなのではないか、と考えられ、惣五郎の霊を弔うために、各地に神社が建てられ、領地の農民のために、義民となった惣五郎を祀った。
ご神徳
農業守護
別称・異称
木内惣五郎きうちそうごろう
その他
宗吾そうご
その他
宗吾大神そうごおおかみ
その他


