佐々木高綱
ささきたかつな
- 歴史的人物
- 男神・男性

歌川国芳
祭神ランキング1003位
- 武人
平安~鎌倉 [1160年~1214年]
佐々木高綱とは?
佐々木高綱(1160-1214)は、平安時代末期~鎌倉時代初期の人物。武将・佐々木秀義の子で、佐々木光綱らの親。従兄弟に源頼朝や源義経がいる。平治の乱で敗れた父や兄は関東に落ち延びたが、まだ幼かった高綱は京都に残って叔母に育てられた。1180年から始まった治承・寿永の乱には兄弟そろって源氏方に加勢し、高綱は山木兼隆を討ち取った他、石橋山の戦いでは頼朝の危機を救うなどの功を挙げている。宇治川の合戦では頼朝が所有する名馬・生食≪いけづき≫を賜り、もう一頭の名馬・磨墨≪するすみ≫に乗る梶原景季と、どちらが先陣を斬れるかを競った。この時、高綱は「馬の腹帯が緩んでいる」と助言し、景季が腹帯を締め直している間に川を渡ることで一番乗りの功名を立てた。これは「宇治川の先陣争い」として語り継がれ、高綱を代表する逸話となっている。 名将として名高い高綱だが、実は36歳の若さで家督を譲って出家している。長野県に現存する正行寺は、親鸞上人に弟子入りして「了智上人」を名乗るようになった高綱が建立したもの。また鳥取県には高綱の身長を模した「佐々木高綱等身地蔵」があり、高綱の武運にあやかろうと勝負事の祈願に訪れる人が後を絶たない。
ご神徳
ご神徳は不明です。
