黒田長興 神社の神様 - 神社ファン

黒田長興

くろだながおき

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
黒田長興

狩野永貞 - 秋月郷土館所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

江戸 [1610年~1665年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 黒田長興とは?

    黒田長興(1610-1665)は江戸時代前期の大名。筑前秋月藩の初代藩主。父は黒田長政、母は徳川家康の養女・栄姫。13歳のとき、祖父・官兵衛孝高(如水)の名をもらって勘解由孝政を名乗り、23歳で長興と改めている。逸話によると、父・長政が暗愚な嫡男・忠之の家督相続をためらい、長政は忠之よりも次男である長興を後継にと一時は考えていたらしいが、重臣・栗山利章が反対したために実現しなかったとも言われる。1623年、父・長政が死去すると遺言により長興には5万石が分与され、秋月藩を立藩した。家督を継いだのは長兄である忠之だが、聡明な長興の存在を恐れた忠之が長興の江戸参府を妨害する事件などがあり、兄弟は常に対立関係にあった。江戸参府を強行した長興は、福岡藩の監視の目をかすめて、僅か十数人の供回りで密かに秋月を出立し、夜陰に小さな漁師船で関門海峡を渡るなどの苦労を重ねて江戸に到着し、1626年正月、三代将軍・徳川家光と前将軍・秀忠への拝謁が許され、同年8月には朝廷から甲斐守に叙任されて正式に大名に列座することができた。その後も江戸城警備や幕府普請の手伝いなどをして将軍家への忠勤に励み、ようやく1634年に秋月領5万石の朱印状を賜った。1637年の島原の乱にも出陣し戦功を挙げ、長崎警備を務める。また、筑後川支流域の新田開発や藩内交通の整備も行ない、藩制を確立した。1665年、藩主在位42年・56歳で死去。 福岡県朝倉市秋月野鳥にある垂裕神社は、垂裕明神として長興を主祭神に祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    垂裕神社
    (福岡県朝倉市秋月野鳥666番)