黒田清隆 神社の神様 - 神社ファン

黒田清隆

くろだきよたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
黒田清隆

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩士(薩摩藩)
  • 政治家

江戸~明治 [1840年~1900年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 黒田清隆とは?

    黒田清隆は(1840-1900)は薩摩藩士、陸軍軍人、政治家。父は黒田清行、妻は黒田清、黒田滝子。幕末に薩摩藩士として薩長同盟のため奔走し、1868年から1869年の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執り、旧幕府軍を壊滅。示現流有数の優れた使い手であったと伝えられる。戦後には敵将であった榎本武揚の助命嘆願に頭を丸めるなどして尽力した。1870年からは開拓次官、のちに同長官として北海道経営にあたり、札幌農学校の設立、屯田兵制度の導入などを行う。1876年、特命全権大使として日朝修好条規を締結させ朝鮮との交渉に努めた。西南戦争が勃発すると、軍務に復帰。衝背軍を率いて熊本の日奈久に上陸すると、西郷軍を背後から襲撃して熊本城の防衛に成功した。翌年に大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となった。しかし、開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件を起こして指弾された。1888年4月から内閣総理大臣となるが、翌年辞任した。その後元老となり、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長を歴任し、伯爵位についた。 札幌市中央区宮ヶ丘の北海道神宮の敷地内にある開拓神社では、開拓功労者として清隆など37柱が主祭神として祀られている。また、札幌市中央区大通西には清隆像が建っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    上川神社
    (北海道旭川市神楽岡公園2番地1)