高岳親王
たかおかしんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 皇族
- 僧侶
平安 [799年~865年]
高岳親王とは?
高岳親王(799-865?)は平安時代の皇族。平城天皇の子。阿保親王と異母兄弟で在原業平は甥にあたる。平城天皇の第3皇子として生まれ、嵯峨天皇即位に際して皇太子となるが、薬子の変で廃太子となり出家。法名を真如とした。奈良の僧や空海の弟子となり、高野山で親王院を開いた。弘法大師十大弟子の1人に数えられ、空海が入定すると埋葬にも立ち会っている。60歳の時にさらなる仏の道を求め唐へと渡るが、その頃の唐では道教に強い影響を受けた武宗による大規模な仏教弾圧が行われており、親王は唐で師を得ることが出来なかった。そのため親王は、仏教発祥の地インドへ向かうことを決意し海路でインドを目指すが、親王を乗せた船はその後消息を絶つ。その16年後、唐の留学僧から朝廷へ、親王が羅越国で死去したとの報告が寄せられた。 親王終焉の地とされる羅越国は、マレー半島の南端にあったといわれており、マレーシアのジョホールバルにある日本人墓地には親王の供養塔が建立されている。また親王が唐へ向かう途中に立ち寄ったと伝えられる高知県土佐市には、その遺徳を偲んだ人々により高岳親王塔と呼ばれる五輪の塔が建立されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
