溝口直諒
みぞぐちなおあき
- 歴史的人物
- 男神・男性

宝光寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
江戸 [1799年~1858年]
溝口直諒とは?
溝口直諒(1799-1858)は、江戸時代後期の大名。越後国新発田藩10代藩主。9代藩主・溝口直侯の長男として江戸にて誕生した。1802年、父の死去により4歳にして家督を継ぐ。幼少であったため、父の時の例に従い親族の松平信明が後見人となった。1813年からは自ら政治を行うようになる。翌年、11代将軍・徳川家斉に初御目見した。父と同じく好学の大名として知られ、江戸に講堂を設け、国元の藩校も直諒の治世に大きく充実した。藩政は新田開発の効果が上がらず、城下の大火や三条地震などの天災や天保の飢饉などにも見舞われ苦しい状態が続いたが、当時成長しつつあった領内の大地主や豪商に依存することで危機を凌いだ。1838年に家督を息子の直溥に譲り、隠居する。隠居後は「健斎」または「退翁」と号し、本格的な執筆活動を始め、尊王開国論を説いて新発田藩が明治維新を乗り越えるための指標を示した。また大名茶人・翠濤として石州流越後怡渓派を創設して茶道の普及に努めていたほか、画人・景山として多くの作品を残していることもわかっており、大変な博学だったことが伺える。 新発田市の豊田神社では直諒を含む新発田藩歴代藩主の御神霊が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
