恒性皇子
こうしょう(つねなり)おうじ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 皇族
鎌倉 [1305年~1333年]
恒性皇子とは?
恒性皇子(1305-1333)は、鎌倉時代の皇族。後醍醐天皇の皇子。母親は源親子、義母は大叔母でもある憙子内親王。別名は大覚寺宮、越中宮。京都の真言宗大覚寺の寛尊法親王のもとで出家し、恒性法親王と号する。大覚寺門跡となっていたが、元弘の乱で隠岐に配流された後醍醐天皇に連座し、1332年に還俗させられ、後醍醐天皇が隠岐に流される際、越中国射水郡二塚にある現在の気多社に流されて幽閉された。翌年、後醍醐天皇が隠岐から脱出した上、足利高氏も幕府にそむき六波羅探題を攻撃した。幽閉中の恒性皇子を奪取して出羽・越後から挙兵しようとする者達が北陸道を経て京へ攻め上るという噂が流れ、これを恐れた越中守護の名越時有は恒性皇子を殺害、越中・能登の御家人を二塚に集めたが、御家人たちは守護に反乱し、名越氏もこの約1週間後に放生津城で滅亡した。「大覚寺門跡略記」では恒性皇子殺害の実行犯は名越兵庫助貞時とされている。 富山県高岡市二塚にある気多社(悪皇寺宮)には、恒性皇子が御祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
大覚寺宮だいかくじのみや
その他
越中宮えっちゅうのみや
その他
祀られている主な神社
気多社
(富山県高岡市二塚580番地)
