光明皇后
こうみょうこうごう
- 歴史的人物
- 女神・女性

下村観山 - 宮内庁三の丸尚蔵館(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 皇族
奈良 [701年~760年]
光明皇后とは?
光明皇后(701-760)は奈良時代前期、聖武天皇の皇后。諱は安宿媛であり、光明子や藤三娘など様々な呼び方をされている。父は藤原不比等(ふひと),母は橘三千代である。16歳にして皇太子であった首親王と結婚し、親王が聖武天皇として即位をすると夫人となる。その後、皇太子である基王を出産するが1歳にして逝去し、聖武天皇の後継を争う長屋王の変が勃発するがこれを退け、天皇系列以外からは初の皇后となる。光明皇后は夫聖武天皇と共に仏教を厚く庇護し、国分寺、国分尼寺、東大寺の創建を推し進めた。慈悲の心にも厚く、病人を救済する施薬院、困窮者を救済する悲田院なども創設。こういった行動から、平民1000人の垢を自ら洗い流した、病人の膿を自らの口で吸いだしたなどの伝説も生まれている。また、聖武天皇が崩御すると宝玉類を東大寺に寄進し、現在の正倉院の宝物となっている。さらには、興福寺五重塔や法華寺などの創建にも力を尽くした。 光明皇后は京都府相楽郡の日出神社に祭神として祀られている。平安時代に山田川沿いに朝日庄という荘園が成立し、日出と光明すなわち朝日という関係性から祭神になったのではないかと石碑に刻まれている。また、奈良の春日大社には祭神ではないが光明皇后が鹿から生まれたという不思議な伝承が残っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
安宿媛あすかべひめ
その他
光明子こうみょうし
その他
藤三娘とうさんじょう
その他
天平応真仁正皇太后てんぴょうおうしんにんしょうこうたいごう
その他
