光仁天皇
こうにんてんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

忠孝之日本社(歴代天皇御尊影と御陵及二千六百年史錦絵輯)
祭神ランキング1003位
- 天皇
奈良 [709年~782年]
光仁天皇とは?
光仁天皇(709-782)は奈良時代末期の第49代天皇。諱は白壁王。父親は施基親王、母親は贈太政大臣紀諸人の娘橡姫である。父施基親王は天智天皇の第七皇子であったが、皇統は壬申の乱以降天武天皇の流れで引き継がれていたため、皇位継承には当初は無縁の存在であった。白壁王は、光明皇太后葬儀の際には陵墓造営する役職である山作司として秀でた能力を発揮し、また藤原仲麻呂の乱の鎮圧でも功績を挙げ大納言を受任している。しかし、この頃は政変が続き、白壁王は酒を飲み暗愚な人物を装い難を逃れたと言われている。770年に称徳天皇が崩御すると御子がいなかったために天武天皇の系列は途絶え、62歳の高齢にして天皇に即位した。光仁天皇は穏健な政治手法を好み、藤原の仲麻呂の乱の関係者らの罪を免じ流罪を赦免している。また、称徳天皇に重用され朝廷を操ろうとした道鏡を退けると、藤原氏の助力を背景に寺社統制、官制改革などの改革を着実に実行し後の平安時代の政治の基盤を作り上げた天皇である。 光仁天皇は大阪府枚方市の交野天神社≪かたのあまつかみのやしろ≫に祭神として祀られている。交野天神社は第50代桓武天皇がこの地に郊祀壇を設けて父光仁天皇を祀ったことが起源である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
天宗高紹天皇あまつむねたかつぎのすめらみこと
その他
祀られている主な神社
交野天神社
(大阪府枚方市楠葉丘2-19-1)
