源頼義
みなもとのよりよし
- 歴史的人物
- 男神・男性

国文学研究資料館(日本百将伝 - 歌川国芳 CC BY-SA 4.0)
祭神ランキング582位
- 武人
平安 [988年~1075年]
源頼義とは?
源頼義(988‐1075)は平安時代後期の武将。河内源氏の祖である源頼信の長男である。武芸に秀でた武将で今昔物語集などにも記載がみられる。関東で乱を起こした平忠常を平定し武勇に対する評価は朝廷においても高いものがあったが、官位昇進は遅く38歳になり相模守に任ぜられた。数年後奥守兼鎮守府将軍となった頼義は、嫡男の源義家と共に陸奥の安倍頼時の反乱の討伐にあたる。頼時を滅ぼし、一旦は治まったかに見えた反乱であったが以前頼時の息子貞任、宗任の勢力は治まらず、出羽の豪族清原武則の助力を得て鎮圧する。世にいう前九年の役である。この乱では反乱を鎮圧した功績はもっぱら助力した清原氏の功績となり、清原氏は奥羽に勢力を拡大する結果となった。しかし、その後清原氏は頼義の息子義家が討伐し、関東以北における源氏の勢力基盤を気付いた。頼義は、相模守在任中に桓武平氏の嫡流である平直方の娘を娶り、八幡太郎義家、賀茂次郎義綱、新羅三郎義光の源氏盛隆の礎を築く3人の息子に恵まれた。 源頼義は清和源氏と縁の深い源氏三神社の内、兵庫県川西市の多田神社および大阪府羽曳野市の壺井八幡宮で祭神として祀られている。いずれの神社も武軍長久、家運隆昌、勝運厄除などのご利益があるとされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
多田神社
(兵庫県川西市多田院多田所町1−1)
社宮地神社
(山梨県富士吉田市大明見4009)
大将軍神社
(兵庫県相生市川原町2-15)
戸隠神社
(兵庫県川西市多田院1丁目9−5)
