源頼家 神社の神様 - 神社ファン

源頼家

みなもとのよりいえ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
源頼家

建仁寺所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング776位

  • 征夷大将軍

鎌倉 [1182年~1204年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 源頼家とは?

    源頼家(1182-1204)は鎌倉幕府第二代将軍。父は源頼朝であり、第三代将軍源実朝の兄にあたる。母は北条政子である父頼朝の嫡男として生まれた頼家は、いわば生まれながらの鎌倉殿であり、16歳にして父頼朝、母政子と共に上洛し従五位上右近衛権少将の官位を叙任する。その後、父頼朝が没し、鎌倉幕府二代将軍となる。頼家は妻の実家筋に当たる御家人比企能員らを登用し、幕府の体制刷新を図る。しかし、比企家の勢力拡大を恐れた北条時政は母政子の力を借りて、頼家が訴訟に対しての直断が停止とし、13人の宿老による合議制へと政治の体制を移行させた。その後、頼家の弟実朝を次期将軍に押し立てようと画策した時政、政子に反発し、頼家は比企氏と組み北条氏の排除を画策するが、逆に比企氏は北条氏をはじめとした有力御家人の手により滅亡に追いやられた。そして、頼家もまた将軍職を追われ伊豆国修禅寺幽閉の身となり、北条氏の刺客により殺害されてしまう。当時頼家は23歳の若さであり、同時代の天台座主慈円の歴史書「愚管抄」では実にむごい殺された方であったと記されている。 頼家は伊豆市修善寺の横瀬八幡神社に古くから伝わる地元の氏神と相殿として祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。