源有雅
みなもとのありまさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 公卿
平安~鎌倉 [1176年~1221年]
源有雅とは?
源有雅(1176-1221)は平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。源雅賢の長男で、母は伊予守藤原信経の娘。佐々木野を号し、佐々木野中納言と呼ばれた。1189年に侍従、翌年右少将となる。権右中将、正四位下、蔵人頭と順当に出世し、蔵人頭へなった翌年の1209年には参議に昇り、公卿に列する。有雅の家は代々雅楽を嗜んでいて、有雅もまた右馬頭・源資時より神楽を習う。父・雅賢からは和琴と催馬楽を伝授され嫡男・資雅に伝えている。後鳥羽上皇の側近くに仕えて、権臣藤原範光の婿となることによって昇進の機会を得て1212年に検非違使別当、権中納言となった。1221年におこった承久の乱では、後鳥羽上皇方の将として戦い、敗退。出家して恭順の意を示したが、六波羅に囚われ鎌倉に送られ、甲斐国の武将・小笠原長清の預かりとなり、途中甲斐国に下着した際には「二品禅尼(北条政子)に助命を懇願するのでしばらく死刑の執行を待ってほしい」と長清に願い出るが受け入れられず、稲積庄において処刑された。政子はこの有雅の懇願を受け入れ、斬首後しばらくしてから死刑を免除するべきとの手紙が届いたという。 静岡県御殿場市新橋の藍澤神社は1877年高杉太一郎らの創建で、有雅と、同じく承久の乱で処刑された葉室宗行・藤原光親・藤原範茂・一条信能の五卿を祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
佐々木野ささきの
その他
