源満仲 神社の神様 - 神社ファン

源満仲

みなもとのみつなか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
源満仲

国文学研究資料館(日本百将伝 - 歌川国芳 CC BY-SA 4.0)

源満仲

緑亭川柳(英雄百首)

源満仲

歌川芳員(源満仲住吉参籠蒙示現)

源満仲

菊池容斎(前賢故実)

祭神ランキング495位

  • 武人

平安 [912年~997年]

源満仲とは?

源満仲(912-997)は、平安時代中期の武将。清和天皇の曾孫で、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田満仲とも呼ばれる。神号は多田大権現。960年、平将門の子が入京したとの噂があり、検非違使や大蔵春実らと共にこの捜索を命じられた。969年の安和の変では、源連らによる皇太子・守平親王廃太子の謀反があると密告して事件の端緒をつくった。この事件で左大臣・源高明が失脚したが、本来満仲は高明の一派だったはずなので、高明に対する裏切りと言える。満仲は密告の恩賞により正五位下に昇進した。その後は藤原摂関家に仕えて、摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任し、左馬権頭・治部大輔を経て鎮守府将軍に至る。出世に嫉妬され、973年に自邸を襲撃・放火された。二度国司を務めた摂津に土着し、多田盆地の開拓や武士団の形成などを行う。また986年には花山天皇退位事件に際し、花山天皇を宮中から連れ出した藤原道兼を警護した。翌987年、満仲の末子で延暦寺の僧となっていた源賢が、父の殺生を悲しみ、天台座主院源と仏法を満仲に説いた。満仲は多田の邸宅において郎党16人及び女房30余人と共に出家して満慶と称し、多田新発意とよばれた。 兵庫県川西市多田院にある多田神社の主祭神として祀られ、勝運厄除・武運長久の御利益があるといわれている。

ご神徳

厄災除け 病気平癒 無病息災

別称・異称

多田満仲

ただのみつなか

その他

祀られている主な神社

多田神社
(兵庫県川西市多田院多田所町1−1)
中之宮左馬神社
(神奈川県泉区和泉町3253)
鯖神社
(神奈川県泉区和泉町705)
佐婆神社
(神奈川県泉区和泉町4811)
石田神社
(京都府綾部市安国寺町宮ノ腰18の乙)