源義清
みなもとのよしきよ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [1075年~1149年]
源義清とは?
源義清(1075-1149)は平安時代末期の武将。新羅三郎と称される源義光の三男にあたり、母親は平清幹の娘となる。父義光は清幹より譲り受けた常陸国那珂郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田)を義清に与え、以降、以降義清は武田冠者と名乗る。その後義清は隣接する諸郷と小競り合いを繰り返し、清幹の嫡男大掾盛幹と敵対することになる。この争いに敗れた義清は甲斐国市河荘(山梨県甲府市)へ配流となる。その後義清は巨摩郡逸見郷(山梨県北杜市)に若神子城を築城した。義清は嫡男義光と共に徐々に荘域を拡大し、甲府盆地の多くの地域を納めるまでに勢力は拡大する。また、義清の孫にあたる信義が武田姓を再興し、武田太郎と名乗ることにより甲斐武田氏の初代となった。そして義清の後裔には、武田氏の他にも、南部氏、小笠原氏、三好氏などの名門諸氏を輩出している。 義清は中巨摩郡昭和町の義清神社に祭神として祀られている。義清神社は義清の居館跡に建立された神社であり、義清大明神と称されていた。境内にある義清塚はおこんこん山とも呼ばれ、義清の墳墓であると言われている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
刑部三郎おさかべさぶろう
その他
武田冠者たけだかじゃ
その他
