源義賢
みなもとのよしたか
- 歴史的人物
- 男神・男性

歌川国安
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [~1155年]
源義賢とは?
源義賢(?-1155)は平安時代の人物。河内源氏、源為義を父に持ち、源義朝が異母兄に当たる。また、息子に木曽義仲がいる。1139年、後の近衛天皇である東宮体仁親王を警護する帯刀の長となるも、翌年には殺人事件に関与していたとされて解任される。その後は父と共に藤原頼長に仕えるも、年貢未納のため解任され京に戻ることに。1153年、兄義朝が南関東で勢力を増すと、それに対抗して北関東に下向し、武蔵北部に勢力を伸ばした。しかし、1155年に甥である源義平の襲撃を受け、大蔵合戦にて戦死する。埼玉県比企郡には義賢の墓とされる五輪塔があり、これは県内最古の重要な史跡である。 義賢は、鎌形八幡神社(埼玉県嵐山町)に祀られている。この神社は坂上田村麻呂によって建てられたと伝わっており、後に源氏の氏神となった。境内には義賢の息子、義仲が産湯を使ったと言われる清水が湧いている。また、義賢が大蔵で過ごした館の跡地には、大蔵神社(埼玉県嵐山町)が建っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
帯刀先生たちはきのせんじょう
その他
