源為義
みなもとのためよし
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [1096年~1156年]
源為義とは?
源為義(1096-1156)は平安時代末期の人物。源義親の子で、源義朝らの親。祖父に源義家がいる。武将・源義親の四男として生まれるが、父親が乱行を起こして平正盛に追討されたため、祖父にあたる義家の養子となって家督を継いだ。1109年には叔父の源義忠を暗殺した犯人として源義綱一族を追討、義綱を捕縛して京へ凱旋したことが評価され、わずか14歳にして左衛門少尉に任じられている。その後は検非違使として京都の六条堀川に住んだため「六条判官」の通称で呼ばれた。しかし京都の防衛に貢献する一方、粗暴な性格が災いして成人後の官位は低迷していたという。殺人犯や強盗犯を不当に匿うことがあった他、当人も幾度となく殺人や暴行事件を起こしていたため、主君である白河法皇や鳥羽上皇からは全く信頼されていなかった。このような経緯もあって、保元の乱では崇徳上皇側について奮戦するがあえなく敗北し、後白河天皇の側についた長男・義朝の手によって斬首された。 しかし為義が京都きっての武人であったこともまた事実であり、白峯神宮(京都府京都市)の境内にある「伴緒社」に祀られた現在では、武芸・弓道の上達にご利益のある神として信奉されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
六条判官ろくじょうほうがん
その他
陸奥四郎むつのしろう
その他


