栗林次兵衛
くりばやしじへえ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1003位
- その他
江戸 [~1700年]
栗林次兵衛とは?
栗林次兵衛(?-1700)は江戸時代の人物。筑後国(福岡県)生葉郡夏梅村で庄屋を務める。寛文年間に近隣4ヵ村の庄屋と共に灌漑用水路の工事を協議した。九州地方最大の河川である筑後川の水を平野に引き込むため、上流にある大石村長瀬の入り江に取水口を設置し、用水路に水を引き入れ、下流域の畑を水田にするとの案を計画書として久留米藩に提出。これに対し、水路途中の11ヵ村からの反対があり、また難工事が予想されたため藩からの許可も簡単には下りなかった。しかし現地調査が行われた結果、藩営事業として1664年に用水路工事が開始され、第1期の工事は同年3月中旬に完成。その後も拡張工事は続けられ、灌漑面積は1425町歩(約1400ヘクタール)にまで広がった。困難な工事を成功させた次兵衛らは、「筑後五庄屋」として後世に伝えられた。旧夏梅村には、現在も次兵衛の墓が残されている。 次兵衛は福岡県うきは市の水神社(長野、大石)で祭神としてまつられている。長野水神社では、明治の創建当時は水の神であるミヅハノメカミを主祭神とし、密かに5人の庄屋たちをまつっていた。大正に入り正式に配祀され、次兵衛らは水路の守護神としてまつられるようになった。
ご神徳
ご神徳は不明です。
