九条兼実
くじょうかねざね
- 歴史的人物
- 男神・男性

藤原豪信 (天子摂関御影 パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 公卿
平安~鎌倉 [1149年~1207年]
九条兼実とは?
九条兼実(1149-1207)は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公卿。五摂家の一つ九条家の祖。同じく五摂家の一条家と二条家は九条家からの分流であり、この三家を九条流と称する。関白藤原忠通の第三子であり、近衛基実・松殿基房とは異母兄弟となる。若くして右大臣となり従一位の官位を賜るなど順調に出世を遂げる。しかし、平安末期の源平が争う時世では摂関への就任を望むが果たされず、38歳にしてようやく、源頼朝の後援を得て、失脚した近衛基通に代わり摂政の地位に就く。兼実は公卿でありながらも武家に接近し、頼朝に征夷大将軍の宣下を与えるとともに、意欲的に武家の力を借りた政治改革を断行した。弟にあたり「愚管抄」の著者として有名な慈円を天台座主に据え、興福寺、東大寺などの修造に当たるなど権勢をふるったが、一方では厳格な姿勢に反発した反兼実派公家の結集をもたらすことになる。その後、頼朝からも見放されると朝廷内では孤立し、建久7年の政変によって失脚する。 兼実は埼玉県比企郡の月輪神社にスサノオノミコト、コノハナサクヤヒメなどと共に祭神として祀られている。兼実は晩年京都市右京区の月輪寺に隠棲していたことから月輪殿と呼ばれており、社名の由来となっている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
月輪殿つきのわどの
その他
後法性寺殿ごほっしょうじどの
その他
